とりあえず進学し、安定した暮らし求めて就職する。私たちがそんな「常識」にとらわれずに生きていくのは難しい。しかしそんな「常識」から飛び出して、職人を目指す学生たちがいる。三宿にある国立音楽院には、国内では数少ないヴァイオリン製作科が設置されている。そこで学ぶ人たちのもとを訪ね、ヴァイオリンの作り方を通して、ものづくりを志す姿勢を紐解く。
ヴァイオリン製作科二年の黒木さんは、一度地元の大学を出てからヴァイオリンづくりを学ぶために上京した。「小さい頃からヴァイオリンを弾いていて、一体どんな仕組みで音が鳴るのかと、ヴァイオリンそのものの構造に興味がわきました。それで一度自分で作ってみたいと思ったのがヴァイオリン製作を志したきっかけです」と彼は語る。ヴァイオリン製作に興味があることは家族に伝えていたが、相談を重ね、ひとまず大学に進学をすることを選んだ。工学部に入り、材料工学、なかでも金属について学んでいたそうだ。一般企業には就職せずに、ものづくりで食べていくという決断に対して、躊躇や不安はなかったという。「これからさき機械化が進んでいくにつれて、ヴァイオリンのような人の手で作るものの需要が見直されると思っていたので、不安などはありませんでした。機械化が進むなかでも、人間の手でしか作れないものたちが大事にされる時代になればと思います」。黒木さんが言うように、ヴァイオリンの価値は人の手で作られるということにあるのだろう。(註1)実際に作るときは職人がひとりで黙々と作業するが、その技術は多くの職人によって継承されてきた。職人ひとりひとりの技術とその継承によって、ヴァイオリンは四百年以上前から形を変えずに存在しているのだ。
ヴァイオリン製作を行う工房を見せてもらった。なかに入ると数名の学生が熱心に作業をしていた。学科には、脚本執筆のためにヴァイオリンを始めたところその魅力に引き込まれた人、音大在学中に日本には演奏できる職人さんが少ないと感じたのがきっかけでヴァイオリン製作を始めた人、大学でオーケストラをやるうちにヴァイオリンの構造が気になって入学を決めた人など、様々な経歴を持つ学生がいた。しかしどの人もヴァイオリンという楽器が大好きであるということは言うまでもない。
実際に見学すると、ひとつひとつの作業の繊細さに驚かされる。たとえばヴァイオリンのボディの部分である表板は豆かんなという非常に小さな道具を用いて、厚さを一ミリ単位でそろえられる。「削りすぎた!」ということはよくあるそうで、それまで時間をかけて作ったものが最初からやり直しになってしまうことも。「ここまでやったのに、もしやり直しになったら泣いちゃう」と言っていたのが印象的だった。やっとのことでヴァイオリンを形にしたあとは、楽器全体にニスを塗っていく。ムラができないように塗っては乾かす。それを何度も繰り返すと、あのツヤのある深い色が出るのだ。ニスを手作りする人もいて、どう調合するかによって出る色が微妙に変わるそうだ。
また、ヴァイオリン本体を作る以外にも、ヴァイオリンを作るための道具である刃物の手入れが難しいという。道具の歯がデコボコなまま木を削ってもきれいな仕上がりにならないので、定期的に研ぐ必要があるのだ。このようにヴァイオリンづくりは繊細な作業の連続だ。かなりの集中力が求められるので、その日の気分によって作業の精度が変わる。集中できない日や、やる気が出ない日もある。リラックスするために作業のはじめにコーヒーを飲むなど、その日集中するための日課がある人もいるそうだ。 繊細な作業に集中する、そうして数値がピタッと合う。これがヴァイオリン製作に魅力を感じる瞬間だという。そしてヴァイオリンは職人たちの作品であると同時に楽器だ。作り終えたさきに、音を奏でるという次のステップがある。そこがほかの木工と違うところでもあり、ヴァイオリンをつくる醍醐味なのだ。
国立音楽院ヴァイオリン製作科にはいろんな背景を持つ学生が集まってくる。なかにはいままでの学校生活がうまくいかなかったという経験を持つ人も。しかし、いまはみんな等しくヴァイオリンに向き合っている。どんな過去を持っている人でも、ものづくりをする、楽器を作るということを通して、新しい道を見つけることができるのだ。
(註1)工場で大量生産される安価なヴァイオリンは一部の作業が機械で行われることもある。
国立音楽院
東京・鳥取・宮城にキャンパスをもつ日本最大級の音楽学校。楽器演奏や楽器製作・リペア学科ほかにも、アニソン声優科やコンピュータミュージック科など、バラエティ豊かな学科が設置されている。音楽について幅広く学ぶことができる中等部や高等部では、不登校に悩む生徒の受け入れを積極的に行っている。